番外編/菱川師宣・伊勢物語絵を描いた著名な絵師たち その④
浮世絵の絵師たちも、伊勢物語絵を描いています。
『見返り美人図』で有名な菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ)は、いまでいえば挿絵版画家としてスタートし、やがてその版画(摺り画・すりえ)を独立して楽しめるアートにした浮世絵絵師です。
師宣の祖父は京都の人でしたが、父が安房国(いまの千葉県南部)に居を移し、本人は1658年頃から数年のあいだに江戸に出、さまざまな絵本の挿絵を業としていました。当初こそ無記名でしたが、1672年からは菱川吉兵衛と名が記されるようになっています。この間に人気絵師となったのでしょう。
以降、トップアーティストとして最盛期を迎えますが、ちょうどその頃に刊行された絵入り本のひとつが『伊勢物語頭書抄』です。
(下掲)
『伊勢物語頭書抄』は、当時なりに、庶民向けに伊勢物語をわかりやすく解説した絵入りの本です。菱川師宣の画が多数入っているのですから、いま見ても贅沢な作品です。
私見ですが、百五十を超える絵入り本を手がけた師宣は、この頃に幾つもの仕事を立て続けにこなしていたはず。伊勢物語絵の絵柄はキービジュアルに準じているのですが、さらさらと手早く仕上げた感じのタッチです。ただ、手抜きは感じられず、速筆で正確です。勝手に手が動いてしまうのでしょうか。背景にもソツがなく、現代のプロフェッショナルのアニメーターに通じる仕上がりではないでしょうか。
挿絵のほかに、下掲のような扉絵もあり、これらはキービジュアルを踏襲したものではなく、オリジナルの発想で描かれていると思います。
モデルは業平だったでしょうから、江戸時代の人が〝平安時代の歌人の書斎〟をイメージして描いたことになります。
ところが、後ろの棚にある本にご注目ください。この本の綴じ方は鎌倉時代以降のもので、平安時代にはまだなかったものです。平安期には糸で綴じるにしても列帖装(れっちょうそう)といって、下掲写真のように大学ノートによくあるような綴じ方が主流だったのです。
書斎にいるにしては、装束もおかしいように思います。冠の左右につけている毛の総(ふさ)はおいかけ(老懸・緌)というもので、武官の正装時のスタイルなので、家で書き物をするときの姿としては違和感があります。
これらのことからもわかりますが、時代を超えて描かれた古典の物語絵には、しばしば描かれた時代の風物が混在しますし、慣習の誤りも見られるのです。
Comments