正月の謎の絵を検証。伊勢物語スペンサー絵巻を読み解く……?
では、前回の謎の絵の検証をしてみましょう。
下記の嵯峨本、奈良絵本、スペンサー絵巻を見比べてください。どこかに違和感があるはずです。
間違い探しが得意な方でなくても、すぐ気づかれると思いますが、頭上運搬者の向きが逆なのです。
下載の嵯峨本と奈良絵本では、荷物を届けに来ているように見えます。
ところが、下載のスペンサー絵巻の絵では、頭上運搬者が外向きで、屋敷から出て行くところのようです。
次に、運ばれている品物に注目してください。嵯峨本・奈良絵本では衣服ですが、スペンサー絵巻では二つの容器を運んでいます(下載)。どう見ても布や衣服ではありません。この容器は、行器(ほかい)といって、裕福な人が使う蓋付きの器で、食物を運ぶ用途に使われます。お雛様の道具にもありますね。
では、スペンサー絵巻の挿絵が食物を持って外へ出かける運び手を描いた意図は何なのでしょう?
当初、私は、このシーンは、実は本文にはない〝返礼〟を表しているのではないかと考えました。
緑色の衣服を贈ってもらい、嬉しかった貧しいほうの妻は、お返しとして贈り手に新年用の食べ物を届けた。そう見れば、荷物が行器であることが実に自然です。
さらに、謎とされてきたスペンサー絵巻の正月の絵は、〝こうして、皆無事に晴れやかな正月を迎えることができましたとさ……〟的な落ちを挿絵画家が(作者は書いていないのですが勝手に)足したもののようです。いわゆるエピローグ的なものを添えたと捉えれば、この絵の意味が理解できると思ったのです。
ところが、絵巻物が折り本にリメイクされた大英図書館蔵「伊勢物語圖會」(室町後期の作とされる)の四十一段を見てみると、ヒロインらしき女性が新年の賑わいのなか泣いて(?)いるかのように目をこすっています。
つまり、〝こんなに皆が楽しく行き交う新年(が来るはず)なのに、このままではヒロインの彼女は主人の晴れ着も用意できずに哀しむ(ことになるだろう)〟と、やや仮想的な表現をしているようにも見えるのです。
ちょっと待ってください。ここで私はスペンサー絵巻のほうのヒロインを見直しました。よくよく見ると、彼女も何と目をこすっているではありませんか。……泣いているのです!
このことからすると、食物の運び手はヒロインのお使いではなく、通りすがりの人で、彼女の逆境を強めるために巷の華やかさが描かれたたものと見られます。
下掲の絵巻の賑わいも彼女の悲哀との対比的なものに取れます。このように、物語絵を見比べてゆくと、時には謎解きの手がかりともなり面白いものです。(続く)
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