「二股をかける」を連想させる……? 〝むさしあぶみ〟とはいったい何か。
伊勢物語の第十三段には、武蔵鐙(むさしあぶみ)という道具が出てきます。
現代人にはほとんど馴染みのないワードでしょう。
〝あぶみ〟とは何かといいますと、乗馬に使うツールです。平安時代には馬が車に相当していましたので、馬具の名前もよく知られていたのです。
まずは形を見てみましょう。
馬と一緒に描かれている例をご覧になると使い方がわかります。下掲の絵では鞍(くら)からあぶみが吊られているのが見て取れますね。この絵では見えませんが、両サイドに吊るされます。
あぶみは乗馬しているときに足を乗せる部分で、バランスを取ることについては自転車のペダルのようなものなのです。
では、武蔵とは何かといいますと、地名です。武蔵国は馬の名産地でしたので、馬具の産地としても知られていたのでしょう。
物語のなかで、恋人と引き離されて東国を旅している業平は、武蔵国から都の恋人に「申し上げるのも辛いのですが、言わないとなお辛い」と手紙を書き、表書きに「むさしあぶみ」とだけ書きました。
それを見た彼女からは、彼をなじり、すねる歌が帰ってきたのです。
「ほかの女性に心を移したことをわざわざ報告してくるなんて、ひどい人。あなたを刺鉄(さすが)にかけて頼みにしていたいけれど、聞くのもつらいし、聞かなければなお辛いわ」
と。
「むさしあぶみ」の一言が、なぜか彼女を怒らせたわけです。
なぜかといいますと、当時の人はあぶみから浮気を連想していたのです。
もうおわかりですね。
人は馬の鞍をまたぎ、両側のあぶみに足を掛けて平衡を取ります。ですから〝二股をかける〟ことや〝両天秤(りょうてんびん)〟に通じたのです。
伊勢物語の主人公は、自分の揺れる心さえ、彼女に伝えずにはいられませんでした。ジェラシーをかき立てたかったのか、甘えたかったのか。いずれにも取れるエピソードです。彼女に強く心を残していたからこその行動だと思います。
付け加えておきますと、彼女の歌に含まれている〝さすが〟とは、これも馬具で、鐙と革紐(ひも)を繋ぐバックル(鐶・かん)の留め金をいいます。
バックルで結ばれているはずの革紐とあぶみに、彼女は自分たちの心の結びつきを喩えたのです。これは切ない歌ですね。
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