日本でも昔は人が頭に物を載せ運んでいた‥‥? 伊勢物語絵が語る昔ながらの頭上運搬。
伊勢物語四十一段の絵でいまと異なるのは、荷物の運び方です。
桃山期の絵巻(下の画像)には、品物を積んだ箱形の籠らしきものを頭に載せて運んでいる運び手の姿があります。
他方、下掲の嵯峨本では、頭上の荷物入れが盥のような円盆の形に変わっています。運んでいる品物を桃山期の絵巻と見比べると、嵯峨本の方には何かかさばったものが載っています。物語のストーリーから推測すれば、衣だろうと思われます。
また、奈良絵本の挿絵(下掲)では、頭上の荷物入れの形状は円盆形で嵯峨本と同じですが、黒塗りに蒔絵のものとなり、高級感が足されています。贈り手の裕福さが表現されていることがわかります。運んでいる衣の色も緑となり、上流の男からの贈り物という話のストーリーに近い表現となっています。
日本の頭上運搬の風習は、炭や薪、薪を頭上に載せて売り歩く大原女が昭和まで残っていたことが知られています。現代の感覚からすると独特な風習と思いがちですが、伊勢物語絵を見ると都でも一般的な運び方であったことがわかります。運ぶ容器の形も、少なくとも四角い盆形や丸盆型があったことも見てとれます。軽さが求められることからすれば、行李や一閑張りだったのでしょうか。
さて、運ばれているこの衣服ですが、いまの常識からすれば、人に届けるにしてはずいぶん乱雑な載せ方に思えますね。畳んだりはしなかったのでしょうか? 現代と昔では、ずいぶん常識が異なる部分があります。時が経つとこのようなことは忘れられてゆくのでしょうが、理由を聞いてみたいものです。
次に、背景に注目しながら三点を見比べてください。
桃山期のものは、庭に干した布が破れています。
この四十一段の物語の本文には〝きものの肩が破れた(かた を はり や《破》りて)〟とありますが、第四十一段のキービジュアルを見ると、きものではなく布が干してあります。昔は絹の上等なきものを丸洗いすることができなかったので、洗濯のときにはいちいち解(ほど)き、布にして洗い、干しました。乾いたらまた縫い直すのです。たいそうな手間がかかるので、たまにしか洗いませんでした。その洗濯の途中で、布の肩のあたりが破れた、ということです。
着物の仕立てをしたことがある方ならば、絵を見て、なるほど……と思われるはず。まさしく身頃の肩となるあたりが破れているのです。この表現は写実的といえるでしょう。ただ、色が白なのはいただけません。物語の内容から推し量れば、破れた着物も緑色であったはずですから……。
さて、次に、季節的な描写を見てみましょう。桃山期の絵巻の木の梢には白く雪が積もり、丸い玉があります。これは雪玉で、積もった雪を転がして除雪したものではないかと思われます。雪だるまを作るときも同じようにしますよね。
四十一段の物語の季節は、本文によれば師走の晦日(しはす の つごもり)です。冬の寒さの厳しさを示すため、雪を描いたのでしょう。師走という年末の季節にも、物語の筋が絡んでいます。なぜ年末の話かといいますと、正月には夫が御所に参内するため、正式な服が必要なのです。清潔さも求められます。その最上の服が洗濯によって破れたので、貧しいほうの妻は困っており、豊かなほうの婿が、見かねて服を贈り届けるわけです。物語上、季節がポイントの一つなのです。
布と季節に注目しながら、下の嵯峨本の挿絵をご覧下さい。
布は干してありますが、破れの表現はありません。また、庭を見ても季節は判然としません。季節を感じさせる点はといえば、冬だから樹木を枯れ木にしたのか? というくらいです。
さらに、下の奈良絵本では、庭に季節を思わせる表現はありません。松も雪を被ってはいませんし、地面にも雪はないのです。
作者にしてみれば、この点では後者二点について〝挿絵画家さん、ちょっと待ってよ。物語の読みこなしが足りないよ〟といいたくもなるのではないでしょうか。このように、キービジュアルといっても、細部はそれぞれ違い、見てゆくと面白いものです。
(続く)
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