伊勢物語第二十七段で落ち込んだ女性が盥(たらい)の水に見たものは。
伊勢物語の主人公(男性)が心から思った女性は二人だけ。ほかの女性とのおつきあいにはどうしても気持が入らず、気まぐれなものとなってしまっています。
第二十七段も、そんな気まぐれな恋のエピソードです。
ある女性のもとに一夜は寄ったものの、彼はまたもや、全く寄らなくなってしまいました。
女性側にしてみれば、落ち込みます。物思いに沈みながら盥にかけられていた簀(す)をのけて水面を見ると、そこにも物思わしげな自分の分身の影が見えました。
そこで彼女は〝私ほど辛い物思いをする人は自分だけかと思ったら、水の下にも一人悲しんでいる人がいたのねえ……〟と歌を詠みます。
下掲の絵はその様子を描いたものです。
物語の本文からは、女性が一人で自身の心境を語っているように読めますが、物語絵には、本文には登場しないお付きの女性らが描かれています。平安時代の高貴な女性は、手を洗うにも侍従などの手を借りていたことが見えてきます。
盥にもご注目ください。現代人が想像しがちな木地の桶(おけ)とは違い、瀟洒(しょうしゃ)な蒔絵(まきえ)が施され、高台や持ち手のついた贅沢なものだったのです。
(下掲)
すぐ上の絵の、盥の脇によけてあるのが貫簀(ぬきす)でしょう。水が飛び散るのを防ぐため、盥にかけておくものだったそうです。盥は室内にも運ぶものだったので、そんな配慮が必要だったのかもしれません。埃よけや、ちょっとした物、例えば柄杓(ひしゃく)などを置くのにも重宝だったかと想像します。
盥だけでなく水を次(つ)ぐ器もエレガントですね。
ところで、伊勢物語からは話が逸(そ)れてしまいますが、盥について付記しておきます。
下の絵も同じ段の物語絵ですが、盥の持ち手が尖っているのが見て取れると思います。
このように、持ち手が器から角のように突きだしているタイプの盥を〝角盥(つのだらい)〟といいます。平安時代には最もよく用いられていた型だそうです。絵では衣服に隠れて見えませんが、左右均等に二本ずつ、計四本の手があります。
この角盥を用い、七夕の夜に水を張って梶の葉を浮かべ、織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の二つの星──ベガとアルタイル──をともに映して逢瀬を眺める雅びな風習がありました。時代とともに盥の形は変わりましたが、風習はいまも一部に残っています。冷泉家の七夕行事、乞巧奠(きっこうでん)でも古式の角盥が用いられています。
梶の葉の由来は確かではありませんが、舟の梶からの連想で、織姫を彦星のもとへ渡す舟を象徴したのかもしれません。
今回は新暦の七夕の直前(*旧暦では今年は8月25日。冷泉家の乞巧奠は旧暦に即しての行事)でもありますので、優雅な風習をご紹介しました。
拙宅にも梶の木があり、ささやかですが七夕には梶の葉を水に浮かべて飾っています。
第二十七段後半のお話は次回に続きます。
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