平安時代の朝廷トップの男性たちは、優雅な長いトレーンを引いて歩き、ファッションを自慢し合っていた。
伊勢物語の主人公のモデルとされる在原業平の家系は、元々はロイヤルファミリーでした。ところが、彼の祖父にあたる帝が〝変〟を起こし、孫の代からは臣下へとグレードダウンされてしまったのです。
このために、本来なら彼にも手の届いたお妃候補クラスの大臣の娘等々が、望み得ぬ人となりました。
伊勢物語の底流には、この身分違いの女性と業平との悲恋が脈々と流れており、折々に顔を現わしては主人公を打ちのめすのです。
そのひとつが、藤原高子との恋です。高子と業平は、権力で引き裂かれた仲です。今回ご紹介する二十九段では、高子はすでに宮中に入り、時が経っています。
業平は歌人として、高子の桜の宴に召され、歌を披露しなければなりませんでした。
元の恋人でありながら、いまは彼女に仕える立場で花を詠む。難儀な立場ですよね。
業平は、そんな逆境の舞台にもかかわらず、花を褒めながら二人の過去も匂わせ、彼の感懐もこめた歌を詠みます。
その見事な歌の種明かしは致しませんので諸訳をご参照いただくとして、この第二十九段のキービジュアルは、下載のように殿上人たちが桜の花を愛でているところです。
当時の宮中での男性の興味深いファッションをご紹介しましょう。勾欄(こうらん)に布がかけてあるのが見えますね。これはただの布ではなく、男性の下襲(したがさね)という装束の後方に出ている裾なのです。
手前の男性も、後方に下襲を見せています。この下襲は、座るときは折り畳み、奥の男性のように勾欄があればそれに掛けるのがトレンドでした。下襲をディスプレイして美しさをひけらかすのです。屋外を歩くときにはどうするかといえば、畳んで帯に挟むなどしたそうです。
なぜこんなに長くなったのかといえば、ウェディングドレスの長いトレーンのように、このほうがファッショナブルだったからでしょう。宮中や、屋外でもある種の儀式のときには下襲を引いて歩くのが美しいと思われていたのです。
朝廷のトップの男性たちがこのように動きにくく手のかかる装束に身を包み、風雅の宴で和歌に身をやつすことができたのですから、この頃のわが国は、いつのどの国と比べても飛び抜けて優雅だったと申せましょう。
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