伊勢物語の物語絵スタイルを決定づけた江戸初期の嵯峨本とは……？

　前述してきましたように、伊勢物語は古くから物語絵が親しまれてきた読み物でした。

　とはいえ、絵巻物はもちろんのこと、本文だけの冊子にしても彩色絵付きの奈良絵本にしても、かつては一点一点を手書きで写してゆくほかなかったのです。

　ところが、江戸時代の初期には、刷（摺）本が庶民の手にも入るようになりました。……と同時に、それまで上流の趣味であった古典文学が町衆のあいだで一気に開花し、平安趣味のリバイバルブームが始まりました。印刷文化が古典への門戸を広げたというわけです。

　なかでも、京都で富裕な町衆のために出版を手がけたプロデューサー的存在の角倉素案（すみのくら・そあん）と意匠ディレクター・本阿弥光悦（ほんあみ・こうえつ）がタッグを組んで慶長十三（1608）年に手がけた嵯峨本の伊勢物語は、古典文学ルネッサンスブームの皮切りになったともいわれています。

　角倉素庵と本阿弥光悦は、指折りの名だたる豪商の家に生まれながら、本業よりも趣味・教養の道に生きた人。いずれも茶道、書道の達人としても著名でした。光悦は寛永の三筆に数えられる名筆家です。　

　嵯峨本はその光悦らが手がけた木活字本で、物語絵入りの伊勢物語本の印刷版としても初出のものなのです。評判とならないはずがありませんでした。

嵯峨本〈部分〉国文学研究所蔵　鉄心斎文庫

　印刷本が世に流布する力は絶大で、嵯峨本に付された物語絵があたかも原型のようになり、その後の刊行物の伊勢物語絵の大部分がこの嵯峨本の図柄を踏襲してゆき、ある種ステレオタイプのものとなっていったのです。

　刷り物だけでなく、手書きの奈良絵本にも類型化の波が及びました。

　下掲の嵯峨本と江戸中期の奈良絵本の物語絵を見比べていただくと、構図や人物配置の模倣が見て取れると思います。

伊勢物語　嵯峨本（国文学研究資料館　鉄心斎文庫）『日本古典籍データセット』（国文研等所蔵）より

伊勢物語　奈良絵本（国文学研究資料館　鉄心斎文庫）『日本古典籍データセット』（国文研等所蔵）より

　嵯峨本の伊勢物語には、物語中の印象的なシーンを線描で表した物語絵・四十九点が含まれていますが、これらが雛型となり、典型的な図柄として巷に認識されていったのです。

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